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【松山のひと】川崎峰央さん①一つの仕事に縛られない「マルチワーカー」という生き方

  • CATEGORY: 松山のひと
  • DATE: 2020.04.17

自分らしく、松山でイマを生きる人をインタビューするコンテンツ「マツイマ」。

第三回目のゲストは、ドラマー、イベントオーガナイザー、理学療法士と全く異なる職業をバランスよくこなし、独自のワークスタイルを確立させている川崎峰央さん。まずは、川崎さんのワークスタイルを構成している3つの職業との出会いからお話を伺いました。

第2回目を読む方はこちら>

川崎峰央

1984年八幡浜市生まれ。理学療法士/ドラマー/イベントオーガナイザー。理学療法士、ドラマーとして活躍する中、2011年よりイベントを企画し運営するオーガナイザーとしての活動を開始。3.11をきっかけに、ワーキングホリデーを利用しカナダに1年間滞在。帰国後、家業を手伝いつつ自分の働き方を模索しながら、現在のワークスタイルを構築。また、ドラマーとしてはソロ活動のみならず、2011年よりドラム2台とエレクトロニクスを組み合わせたスタイルで演奏する「cowbells」を高松市のライブハウス「TOONICE」のオーナーでドラーマーの井川晃徳氏と結成し、さらに活動の幅を広げている。

ドラムとの出会いから広がる世界

現在、ドラマー、イベントオーガナイザー、理学療法士として活躍されていますが、どのようにこの3つの職業に出会われたのでしょうか?

川崎さん:まず、ドラムというか音楽との出会いは、小学校の低学年の頃にエレクトーンを習い始めたところからです。その後ピアノに移行して、そのままダラダラと中3まで続けていました。全く練習をしなかったので、上手にはなりませんでしたが(笑)。

そして、中3の時にギターに興味を持ちギターをはじめてみたのですが、途中、なぜだかドラムに転向していました。ただ、どっぷりハマるというよりは、文化祭の時だけバンドを組んで叩くみたいな感じだったと思います。

その後、大学に進学をするのですが、京都に憧れていたこと、さらに環境系の勉強がしたかったこともあり、滋賀大学の環境教育学科に入学しました。はじめの半年は大学が面白くなくて、本気で編入も考えていましたが、大学生活に慣れ友人ができはじめると大学が楽しくなってきました。さらに、軽音楽部に入部して少し経った頃から、ドラムがどんどん楽しくなっていったんです。

高校生の頃からドラムを演奏されていますが、大学に入ってしばらくしてから楽しくなってきたのでしょうか?

はい。それまでは多少叩けるといった感じでした。大学では、ドラムが上手い先輩との出会いがあったり、その先輩の紹介で大学外の精力的に活動しているバンドに入ったりと、もっと上手になりたいと思うようになっていました。

当時入っていたバンドは、県外にも演奏に行くなど、幅広く活動をしているバンドでした。この時のバンドを通して県外の人と繋がることや県外でライブをすることは、行動さえ起こせばそんなに難しいことじゃないということが分かりました。それまではもっとハードルが高いと思っていたんです。

そして、この時に音楽をずっと続けてきたいと思うようになっていました。ただ、実家が事業をしていたので、漠然と家を継がなくちゃいけないという思いがあり、音楽で食べていきたいとは考えていませんでした。

理学療法士と音楽活動

大学卒業後は、どのような道を進むのでしょうか?

家業の仕事をすぐにスタートするのも・・・と考えていた時に、両親との会話の中から理学療法士という資格が出てきました。そこから理学療法士について調べて、松山の専門学校への進学を決めました。家業が介護系ということもあり、最終的に活かせればいいと思ったことや、正直どこか漠然と資格を取って安定したいという気持ちもありました。

ただ、新たにスタートした松山での生活でも、やはりドラムはしていきたいと思っていました。その時のクラスメイトに「星空JETT」というロックバーに連れて行ってもらったところ、ちょうどドラムを探しているバンドあるからと紹介してもらい、そのバンドで活動するようになったんです。

このバンドも県外での活動を積極的に行っていて、また色々なところへ行ける楽しみを味わうことができました。

専門学校を卒業し、数年間は病院に勤務しながらバンドという日々が続くのですが、メンバーの1人が脱退することになり、そのバンドを続けることが難しくなりました。

ちょうどその頃、このバンドを通して知り合ったドラマーの井川晃徳さんとドラム2台でセッションしてみようかという話になり、2人でドラムを叩いてみたんです。するとその演奏が楽しくて、見た目的にも面白いんじゃないかとなり、ドラム2台とエレクトロニクスの機材も加えて演奏してみようとなりました。これが、現在活動をしているcowbellsの始まりです。

週に2~3日、理学療法士として勤務している川崎さん。

2019年、瀬戸内リトリート青凪文化音楽芸術祭ではcowbellsで出演し演奏を行った。

☆cowbellsの活動をスタートさせた川崎さん。第2回目では、ワーキングホリデーを利用しカナダへ。現地での生活や、帰国してから現在のワークスタイルを築き上げるまでの葛藤をお聞きします。どのような経緯で今の3つの仕事を構築されていくのでしょうか。

第2回目を読む方はこちら>

  • Written by: Mai Hirose
  • Date: 2020.04.17