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松山の南銀店街にある「Futur Nostalgique」で、フローリストとして活躍する吉岡弥生さんへのインタビューの第2回目。第1回目では松山から東京へ上京し、お花屋さんに転職するまでのお話を伺いました。今回はそこからフランスへ一気にジャンプ!さっそくお話を伺ってみましょう。
吉岡 弥生
フローリスト。1986年松山市生まれ。松山大学卒業後、ホテル チェックインに入社。2年半勤務したのち花屋へ転職。2店舗の花屋で働いたのち、30歳の頃にワーキングホリデーを利用し渡仏。1年間フランスで花を学んだ後、松山にUターン。現在、パートナーがオープンさせた「Futur Nostalgique」にてフローリストとして活躍する。
フランスでの生活
まずは、どのような経緯で渡仏されるのでしょうか?
吉岡さん:勤務先の「junnette(ジュネット)」がクローズすると聞き、その後のことを考えていました。junnetteには、パリでの留学経験のあるスタッフがいたり、私と同世代のスタッフは勤めている途中に「パリに行きます!」とお店をやめて渡仏。そんな姿を見て「私もやっぱりフランスへ行きたい!」という意思が固まり、さらにハマムラさんのブログを見ていたので、パリを見たいという気持ちも強くなっていきました。
その時の私の年齢が30歳。ワーキングホリデーに挑戦できる最後の年齢になっていました。結構、悩むタイプではあるのですが、決めるとなると「えいやっ!なんとかなる」と開き直るタイプでもあるので、ワーホリへの挑戦を決めてからの行動は早かったように思います。
フランスでの生活に不安はありませんでしたか?
吉岡さん:語学は全くできなかったので、その部分の不安はありましたが、やっぱりなんとかなるかな?といった楽観的なイメージの方が強かったように思います。英語も話せなくて、ヤバイ!といった感じではありましたが。(笑)
まず、ワーキングホリデーの仕組みとして、初めの3ヶ月間は語学学校に通います。そして3ヶ月が過ぎると現地で仕事ができるようになるので、そこからお花屋さんで働きたいと思っていました。特にパリで活躍しているトップフローリストのEric Chouvin(エリック・ショウバン)さんのお店で働きたいと思い、日本にいる間にインターネットで調べて、フランス語で書いた自分の履歴書とモチベーションレターを用意していました。何のツテもないので、直接お店にいって直談判するしかない!と・・・。お店に足を運んだ日に、運よくEric Chouvinさんがいて、その場で書類を見ていただき、「働いてもいいよ」と言っていただきました。ワーホリでは、研修という形で働きます。語学学校からコンベンションスタージュという協定書を出してもらい、研修がスタートといった感じで働き始めました。
フランスでのお花の勉強は、junnetteでお世話になった濱村純氏に師事し、Eric Chouvinで研修といった様子で日々を過ごしていました。
パリでの一日
フランスではどんな1日を過ごしていたのでしょう?
吉岡さん:研修(花屋さんでの勤務)が始まってからは9時〜17時くらいの時間で働いていました。他には、ジュネット時代のハマムラさんのアシスタントもしていたので、定期装花といってブティックに花をいける仕事に同行したり、季節ごとのデコレーションの仕事を一緒にしていました。
休日は公園に行ったり、美術館に行ったり。フランスでは第一日曜日はルーブル美術館も含め色々な美術館が無料になるので、そこを狙って美術館巡りをしていました。あとは、よく歩きましたね。散歩をして街を見ていました。
季節によって街の雰囲気が変わるんです。特に晩夏と春が好きでした。一年を過ごして、「日本に帰るのがもったいないな・・・」と感じていたと同時に、日本ではパートナーがお店をオープンさせていたので、松山では次のステージが待っているぞ!と思っていました。
⭐︎フランスでの1年間の生活が終わり、いよいよ帰国した吉岡さん。第3回目は、吉岡さんが松山でどのようにお店を展開していったのかについてお話をお聞きします。
Futur Nostalgique
http://futur-nostalgique.com
愛媛県松山市湊町3-2-12大野ビル1F(南銀天街)
TEL:089-993-7064
営業時間:11:00〜21:00
定休日:水曜日
(2020年1月6日現在)
- Written by: Mai Hirose
- Date: 2020.01.28