自分らしく、松山でイマを生きる人をインタビューするコンテンツ「マツイマ」。
ドラマー、イベントオーガナイザー、理学療法士と、異なる3つの職業をバランスよくこなしている川崎峰央さん。第1回目では、理学療法士として働きながらドラマーとしての活動を加速させたお話しをお聞きしました。今回は、カナダへのワーホリから、イベントを企画し運営するオーガナイザーに至るまでのお話しを伺います!
川崎峰央
1984年八幡浜市生まれ。理学療法士/ドラマー/イベントオーガナイザー。理学療法士、ドラマーとして活躍する中、2011年よりイベントを企画し運営するオーガナイザーとしての活動を開始。3.11をきっかけに、ワーキングホリデーを利用しカナダに1年間滞在。帰国後、家業を手伝いつつ自分の働き方を模索しながら、現在のワークスタイルを構築。また、ドラマーとしてはソロ活動のみならず、2011年よりドラム2台とエレクトロニクスを組み合わせたスタイルで演奏する「cowbells」を高松市のライブハウス「TOONICE」のオーナーでドラーマーの井川晃徳氏と結成し、さらに活動の幅を広げている。
カナダへ・・・
どのような経緯でカナダへ行くことになるのでしょうか?
川崎さん:理学療法士として病院で勤務していたのですが、就職して3年が経った、2011年に東日本大震災が起こりました。これから先も何が起こるかわからない、やりたかったことはやっておこうと思い、仕事を辞めてカナダへ行くことを決めました。
カナダには叔母夫婦が住んでいて、小さい頃からいつか行ってみたいと思っていたんです。その年にワーホリを利用してカナダに行くことに。この時期、coowbellsとして初めて県外からゲストを招聘するイベントを企画しました。
様々な巡り合わせで「若草幼稚園」という市内の幼稚園でイベントを行ったのですが、このイベントには約100名くらいのお客さんが集まってくれ、やりがいや達成感と同時に今まで味わったことのない高揚感や多幸感を感じました。
その後、イベントに協力してもらった「Federico」というイタリアンのお店でバイトをしながらカナダに向かうタイミングをみていたのですが、このバイトを通じで、音楽活動や病院に勤務していた時には出会えなかった街の人たちと知り合い、繋がる人の幅がグッと広がりました。
バイトをしながら他のイベントを企画しつつ、しばらくしてカナダへ渡りました。
カナダでの生活はどうだったのでしょう?
カナダの音楽シーンを見てみたいと思い、カナダに到着して早々、ライブハウスを調べては遊びに行っていました。はじめは語学学校に通ったのですが、ライブハウスでお酒の力を借りてそこにいる人たちと英語で話す方が勉強になると思い、1ヶ月くらいで語学学校は退学しました。
その後に、フィッシュ&チップスのお店のバイトが見つかったので、バイトをしながらライブハウスに遊びに行き、そこで友達を作るという毎日でした。
好きなバンドの話をしたり、好きなバンドがカナダに来た時はライブに一緒に行ったりして、音楽を通して現地の友達がたくさんできました。ドラムをしていてよかったなと思うシュチュエーションがたくさんあったように思います。
カナダでの印象的な出来事はありますか?
カナダで一番仲良くなった友人がドラマーのマシュー。ある時、彼のバンドの前説を日本語だけでしてくれないかと頼まれて、いきなりステージに上がり、200人くらいいるお客さんの前で彼のバンドを紹介するという経験をしました(笑)
自分に正直に、葛藤しながら得たワークスタイル
帰国してからの暮らしを教えてください
行きいと思っていたカナダにも行ったし、とりあえず家業の一部を手伝い始めました。事務や営業といった仕事なのですが、やりたくてしているわけでもなかったので、仕事にやりがいを見出せませんでした。
結果として理学療法士として働いている方が楽しかったこともあり、家業と理学療法士、この2つの仕事をしていました。ただ、理学療法士にやりがいを感じていたものの没頭していたわけでもなく、家業よりは頑張れる。でも、実家の仕事の力にもなりたい・・・。やりたいことをしてカナダから帰ってきたはずなのに、結局のところは悩んでいる。そんな葛藤の日々が続きました。
この時期、今までしてきたドラムでも収入を得たいという考えから、ヤマハのドラム講師の試験を受けて、ドラム講師としても働き始めました。理学療法士と家業の仕事をしながら、音楽は相変わらず続けていて、県外に演奏に行ったり、イベントを企画するといった日々でした。
家業の一環として管理しているマンションがあるのですが、マンションの空室が多いから、知り合いが多いなら部屋を探している人に紹介できないかと両親から提案がありました。
そしてマンションの交渉や修繕なども含めて任されることになり、できるところは自分でリノベーションをして、音楽関係の仲間や、友人、イベントなどで知り合った街の人に紹介していきました。結果、入居が次々に決まり、空室の多かったマンションは満室になりました。
営業や事務といった家業にはやりがいを感じられないものの、実家の役には立ちたいという葛藤があったのですが、こういった形で利益を還元できるなら・・・。ある意味、自分がしてきた音楽活動も役に立っているので、少し肩の荷が下りたように感じたのです。
☆第3回目は、ご実家のマンションをリノベーションし、新たに「人々が集う場」を作り始める川崎さん。イベントを仕掛けるイベントオーガナイザーとしての活動をお話をお聞きします。
- Written by: Mai Hirose
- Date: 2020.05.07