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マツイマ!インタビュー 愛媛県人男子寮「常盤学舎」(東京)①

  • CATEGORY: サイト限定情報
  • DATE: 2022.09.12

愛媛県外に進学された松山出身の学生向けに松山の“イマ”を伝えるWebマガジン「マツイマ」。
今回は東京にある愛媛県人寮「常盤学舎」を全3回に分けてご紹介します。

<常盤学舎玄関>

常盤学舎は東京都東久留米市にあり、愛媛県出身又は愛媛県にゆかりのある男子学生が関東地区の大学、大学院、専門学校に進学するための歴史と伝統のある学生寮です。

今回1回目では、その学生寮を切り盛りし学生達の東京の父親的存在である舎監の後藤さんに、常盤学舎の魅力や歴史ついてお話を伺いました。

第2回目を読む方はこちら>

<舎監の後藤さん>

後藤さんが舎監を務める経緯から教えてください。

後藤さん:常盤学舎の舎監は、歴代の常盤学舎OBの方々が務めておりました。
私の前任の舎監は82歳まで勤めました。実は私は着任してから、まだ1年半しか経っておりません。
私自身は公務員として長年勤めた後に定年退職し、その後は一般財団法人に5年間務めました。
その後、私の知り合いである常盤学舎OB関係者から『常盤学舎の舎監さんが辞めるので、その後を引き継いでくれないか』との打診があり、受けたのが経緯です。

 

後藤さんは常盤学舎のOBではないということでしょうか?

後藤さん:私自身は東京勤めばかりで、実は愛媛県に縁もゆかりも無いのです。
愛媛県出身ではないうえ、常盤学舎のOBでない者が舎監に就任するのは私が初めてじゃないでしょうか・・・
OBではないですが、親御さんの大切なお子さんを預かる立場として、責任をもって舎監を務めさせていただいております。

 

常盤学舎の歴史ついて教えてください。

後藤さん:常盤学舎の歴史は古く、明治20年に本学舎の前身「常盤会宿舎」が旧松山藩主・久松貞謨(さだこと)伯爵の全額出資で現在の東京都文京区本郷に開舎されたのです。開舎の目的は「松山出身の子弟が東京で遊学するため」であったと聞いています。

戦後の話に飛びますが、昭和30年に文京区本郷より現在の東久留米に移転し「常盤学舎」が開舎されました。当時は木造平屋建てでしたが、昭和45年に現在の5階建て鉄筋コンクリート造となりました。

<鉄筋コンクリート造の常盤学舎>

歴代の寮生や舎監には多くの著名人がいると聞いております
後藤さん:前⾝の「常盤会宿舎」の寮生には、明治時代の文学者である俳人・歌人の正岡子規(まさお かしき)、大正期に大蔵官僚から政治家に転身し昭和期にかけて文部・大蔵大臣を務めた勝田主計(しょうだ かずえ)、昭和期に三菱財閥のトップを務めた船田一雄(ふなだ かずお)ほか、数多くの著名人を輩出しております。

また、歴代の寮監督には明治・大正期の俳人で内藤鳴雪(ないとう めいせつ)、当時陸軍中将で後に陸軍大将を務めた秋山好古(あきやま よしふる)、当時大蔵次官であった寮OBの勝田主計等が就任しており、明治・大正・昭和のトップリーダーが係わっていました。

<東久留米移転当初から立つ樹木>

次回は、そんな歴史と伝統のある「常盤学舎」で現在の寮生達の生活の様子、宿舎の設備などを伺います。

 

■次回トピックス

「常盤学舎の卒業生が残したもので後藤舎監が健康に!」
「卒業する寮生からの気遣いの品とは?!」

第2回もお楽しみに!

第2回目を読む方はこちら>

 

常盤学舎
https://tokiwagakusya-tokyo.jimdofree.com/
東京都東久留米市中央町1-18-7
TEL: 0424-71-0047 (2022年9月8日現在)

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